大人になることは何かをあきらめること。
わたしはまだわたしの周りのものをあきらめることができなくて、なかなか大人になれないでいる。
あこがれの世界ではたらくことを、好きな街に住むことを、好きな人と生活することを、わたしはまだまだあきらめることができない。


父が男でいることを諦めきれなかったせいで、わたしの生活が、ばらばらに取っ散らかってしまった。どっちの女が、どっちの家庭が大事か決められないなんて父はあまりに子どもすぎる。そもそもふたつとも上手に、大切にできると思っていたなんて、そんなきれいごとはわたしたちが生きている世の中にはひとつもない、ざまあみろ。


でも、こんなこと言ったあとだけど、わたしもさいきん、他人の、知り合いでもないほんとうの他人の生活を取っ散らかしてしまった。しかも女でいたいという固執のせいで。あのときのわたしも、わたしが女でいることを確かめたくて仕方がなかった。


いつだって男の人のまえで、わたしはわたしが女であることを確かめる。好きなひとが、わたしのまえで男でいることを確かめるたびに、嬉しくなる。好きでもないひとについて、あのひとはわたしのまえでは男でい続けたいのだ、と気づいてしまうとき、かなしくなる。どうしてだろう。わたしは女でいたいはずなのに。ちょっといいな、と思うひとのまえでは、わたしの女の部分がゆらゆら揺れる。でも、ときたま、女であることが、ほんとうにどうでもよくなる時がある。なにがほしいかわからなくなる時がある。なにがすきなのかわからなくなる時がある。コンビニに入ってもなにが買いたいのか分からないし、朝、なにが着たいのか分からない。わたしは、ほんとうに女の子なのだろうか?わたしって、誰だっけ? わからない。わからない。わからなくてもよいのだということを、いつも忘れる。わたしって、誰だっけ?