ちゃんと笑うし、 ちゃんと明るいし、ちゃんと暗いだけなのに、それを闇だとか病んでいるとか言われるとほんとうに居心地がわるい 全部ほんとうのわたしなのに、光とか闇だとかじゃなくてぜんぶひっくるめてわたしなのに。でも、ちゃんと暗いっていうのはむしろとても健全なことだと、わたしに教えてくれた素敵な人たちがたくさんいるのでちっとも恐くなんかないのです。

 

 

「私は世界が終わってしまうといった世紀末の終末観より、むしろ世界が終わらないことの方が怖い。終わらないこの日常をジタバタ生きていくことのほうが恐ろしい」

 

 

大人になることは何かをあきらめること。
わたしはまだわたしの周りのものをあきらめることができなくて、なかなか大人になれないでいる。
あこがれの世界ではたらくことを、好きな街に住むことを、好きな人と生活することを、わたしはまだまだあきらめることができない。


父が男でいることを諦めきれなかったせいで、わたしの生活が、ばらばらに取っ散らかってしまった。どっちの女が、どっちの家庭が大事か決められないなんて父はあまりに子どもすぎる。そもそもふたつとも上手に、大切にできると思っていたなんて、そんなきれいごとはわたしたちが生きている世の中にはひとつもない、ざまあみろ。


でも、こんなこと言ったあとだけど、わたしもさいきん、他人の、知り合いでもないほんとうの他人の生活を取っ散らかしてしまった。しかも女でいたいという固執のせいで。あのときのわたしも、わたしが女でいることを確かめたくて仕方がなかった。


いつだって男の人のまえで、わたしはわたしが女であることを確かめる。好きなひとが、わたしのまえで男でいることを確かめるたびに、嬉しくなる。好きでもないひとについて、あのひとはわたしのまえでは男でい続けたいのだ、と気づいてしまうとき、かなしくなる。どうしてだろう。わたしは女でいたいはずなのに。ちょっといいな、と思うひとのまえでは、わたしの女の部分がゆらゆら揺れる。でも、ときたま、女であることが、ほんとうにどうでもよくなる時がある。なにがほしいかわからなくなる時がある。なにがすきなのかわからなくなる時がある。コンビニに入ってもなにが買いたいのか分からないし、朝、なにが着たいのか分からない。わたしは、ほんとうに女の子なのだろうか?わたしって、誰だっけ? わからない。わからない。わからなくてもよいのだということを、いつも忘れる。わたしって、誰だっけ?

私的カルチャー日記

ポパイで橋本愛ちゃんが連載しているあれみたいなやつ 最近の音楽/文学/漫画 事情

 

相対性理論 「証明Ⅲ」@中野サンプラザホール

初めて相対性理論のライブに行きました。

開演前のBGMがとても心地よくて、うとうとしていたら幕が上がり。MCがない/観客がこんなにも微動だにしないライブは初めてだったのだけど、まるで異世界に連れてこられたかのような浮遊感。圧巻のライティングと 惚れ惚れするようなギターとツインドラムの演奏と 揺るぎないやくしまるえつこの声と。格好良すぎてクラクラしてしまい 一体ここはどこなの?と歌詞に出てくるようなことを考えたりしたけれど、この音楽さえあれば大丈夫だという気持ちにさせられる。相対性理論の歌詞(特に最新のアルバムの曲たち)は聴き手に寄り添うというよりは距離を置いたような感じがするけれど、 ほんとうにわたしたちを救ってくれるのはこういう音楽なのだなという確信がありました。このライブの後、やくしまるえつこのインタビューをネットで読み漁ったのだけど 自分を、世界を、あんなに冷静に見つめられる人がいるのかと驚いた… 凄まじい人

 

・『もしもし下北沢』 よしもとばなな

突然父親に裏切られて、取り残された今のわたしと母の状況を、この小説が上手に表しすぎていて、ただの物語とは思えない…。どんなにつらいことがあって、泣いて、立ち直れなくても、それでも、残酷ながらも以前と同じ速さで、生活はつづく。「うずうずとした恨みをじっと抱えているほうが、私は健全。 」という台詞にずいぶん救われた。今まで散々父親面しておいて何なんだよ、と怒りがこみ上げたり、ふとした時によぎる想い出のせいで息苦しくなったりするけれど、それでよいのだと気づくことができて良かった。生活の営みと街との関係に興味があるので、下北沢が舞台という設定もぐっときた 行ったことのあるお店や商店街が出てくるときの、物語と現実の境目が曖昧になる感覚がたまらなく良いです。ラストの一節にとても好きな部分があるので、残します。

 

「この頭の中に、体を形づくる細胞たちに、瞳の中に、残っているいろいろな光景だけはだれにも奪えない、ざまあみろ、時間よ。」

 

ざあまみろ、時間よ! いつかわたしも胸はって言えるようになりたい

 

・『西荻夫婦』やまだないと

タイトルに地名が入っている作品が偶然並んだ!

わりと幸せなはずなのに、どこか満たされなくて、拭えない寂しさと空虚 まとわりつく不安 感じているのは、わたしだけじゃないんだなって気づきがあって楽になったけれど途方もない気持ちにもさせられた。漫画の途中に入っている文章がぐっときて、何度も何度も読み返す。ただのほのぼの夫婦のストーリーではなくて、どこからともなくやってきて、こころに留まりつづける 終わりの感覚についてのお話 

この街の人たちはどうやらリアルというものに異常にこだわるらしい。やっぱり音楽は生で聴かないと、と語りだす通ぶった人。バイトをしていても瓶ビールじゃなくて生ビールはないの、と何度も聞かれる。生牡蠣。刺身。どっちも大嫌いな食べもの。わたしにはちっとも美味しいなんて思えない。飲み会の席でナマですると全然違うんだよな、って話す同級生。痛々しくて見てられない。痛々しいラブ。そんなタイトルの漫画が確かあった気がする。岡崎京子だっけ?ううん、たしか魚喃キリコ。どうしてみんな生きてるってちゃんと実感しないと居ても立っても居られなくなるのだろう。どうして騒いで、踊って、熱くなりたがるのだろう。どうして愛や情事ついてしか話せないのだろう。わたしは優しくてつめたいものしか愛せない。ひんやりしたシーツ。肌触りのいい下着。夏の夜に吹く風。気の抜けたソーダ水。そんな感じ。

 

眠ることは現実逃避ではなくて呪いを解いて自由になること 感情の外側をピーラーでそおっとむいていくような はだかのこころをさらけ出すのは夜だけがいい。

 

キスとかハグとかセックスに全く興味がなくなってしまって、洗面所に並んで歯を磨くとか、夜中に近所を散歩するとかだけしていたい。

 

不在の存在

コーラックエチゾラムもすぐに慣れて一錠じゃ効かなくなるのに一人で生活することにはちっとも慣れやしない。不在であることの存在を受け入れるということ。 近しい人たちが死んでいくことには割と慣れてしまったのだけれど。 ある日を境に姿を見なくなった父親とか、春から地方に就職した恋人とか、今まで一緒にいることが当たり前だった人が、物理的にこの世からいなくなるわけではないけどわたしとは違う場所で生活をしているという事実を咀嚼することがなかなか出来なくて苦しい。サニーデイ・サービスの曲で 君がいないことは 君がいることだな  っていう歌詞があるのだけど最近その意味をやっと理解できた気がする。不在の存在が重くのしかかる感覚、これは思っていたより堪えます。

 

やけにたばこの煙が目にしみる日。疲れてるのだとおもう。これが日課だと思いたいがために毎日カフェラテ三杯飲むのもうやめたい

 

随分暴れて家を出て行ったので授業に遅れますと連絡が来た。うちの子今うつ病で、と打ち明けられてハァ、となんとも間抜けな相槌を打ってしまう。しばらくして彼がやってきたけれどなんてことない様子で、先生と話すときもニコニコしていて楽しそうにさえ見えた。なんだか、この世界にはわたしの知らないことがありすぎて果てしない気持ちになるよ。誰かが知らないところで苦しくなったりしてもどうすることもできないから悔しいね。

 

煙草から煙草へ火を移すしぐさががキスみたいできゃっきゃした夜 そのまま寝ずに狭いベランダでじりじりと日が昇るのをみた明け方 みんなで適当に作った朝ごはんを食べたら全員おなかが痛くなって笑い転げた朝のことをわたしは忘れたくないよ

 

 

red

流れ星がぴかぴかのパウダーを振りまきながら通過していく音がすると思って空を見上げたけどそこにはタワーマンションの上の赤いランプしかなかった。よく見ると同じ様な赤がずらっと並んでいて思わず身震いする。赤赤赤赤赤たまにオレンジまた赤赤やけに明るい白。 採血された自分の血を見てみたら思っていたよりもどす黒い赤でがっかりした。自分の体の中を流れる色はもっと綺麗な色が良かった。パステルピンクとかロイヤルブルーとかさ。昼間薬局の裏の階段でひとり弁当を食べていたお兄さんはもう寝てるのかな。わたしの好きな人は夕飯に何を食べたんだろう。あのカップル今日はどこでデートしたのかな。他人のことばかり気になって自分がぼやけていく。このままわたしが透明になったら光にかざしてみたりしてね。きっとキラキラして綺麗だよ。